証拠主義?の弊害
子供の頃、けんかしている子供達の間でよく言われていた言葉である。
「証拠を見せろ!」と。
現在の大人社会でも、(特に法律の世界)、証拠(科学の世界だと「根拠」)や証明がないと先に進めないことが多い。年金などもそういうことでもめているようである。
が、人間関係、特に親子関係や先生生徒関係にそれを持ち込みすぎることには、弊害が大きいのではないかと思う。所謂、しつけや道徳的な事には、証拠がなかったり証明できなかったりするものがたくさんある。証拠や証明を前提にしてしまうと、子ども達を育んでいくことが出来ない面がでてくると思う。
では、どうすればいいのだろうか。
今のところ、私の思いとしては、「信じる」である。
例えば、男性が女性に「愛してる」と言ったときに、女性が「証拠は?」と言われて、客観的な証拠や証明は出来ないであろう、つまりそれを信じるか信じないかを判断しなければならない。そういったこと(信じるか信じないかの判断)の積み重ねが、小さい頃から出来ていないことが、社会全体での人間関係の脆弱さや浅薄さを産み出しているのではないかと思う。
「信ずるものは救われる」かと思う。
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