最近読んだ本2
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gooランキングに「小さな幸せを感じることランキング」というのがあった。
1位から20位まで掲載されていた。ちなみに、
1位:ジュースの自動販売機で当たりが出た
2位:家に着いた途端に雨が降り始めた
3位:横断歩道に付いた途端信号が青になった
4位:ホームに着いた瞬間に電車が来た
5位:混んでいる電車で目の前の人が降りてすぐ座れた
であった。
20位までの中で、全体的に「幸せ」というより「ラッキー」という感じのものが多く見られた。(もちろん、「lucky」は「幸せ」の事であるが、カタカナの「ラッキー」になると「幸せ」とはずいぶんニュアンスが変わってくるように思う。)
今、思いつく「小さな幸せを感じること」は、ん〜〜〜〜〜、なんだろ?
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禍福はあざなえる縄のごとし
捨てる神あれば拾う神あり
人間万事塞翁が馬
成せし事は説かず、遂げし事は諌めず、既に行きたるは咎めず。
&
貧しくて恨みなきは難く、富みて驕るなきは易し。
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形として目に見えることは大事だと思う。もちろん、物質的な意味でもあるが、私が述べたいのは、「儀式」の事である。
虚礼廃止が言われ出して久しい。虚礼を廃止することに基本的には異論はないが、「儀式に伴うその思い」までもが消えていってしまっているように思う。儀式を廃しても、その思いを自然に持ち続けることが出来る人もいれば、目に見える形とならなければその思いを理解することが難しい人もいるのではないかと思う。
現代では、形を廃し過ぎたために、その意味が見えなくなり知らない人が増えたのではないかと思う。そして、それが多数派となりつつあるように思う。このことは、善悪(良いこと、悪いこと)という物差しで測れるものではないと思うが、思いを形にし伝えていく、という機会の喪失になっている。
思いを飾りすぎることには問題があると思うが、思いを伝えていく手段に多様性は必要であると思う。よって、どの「形」を残していくのか、どのように残していくのか、を社会全体で真剣に考えていく必要があると思う。
注釈:「社会全体」とは「一人一人」と同義語である。
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子供の頃、けんかしている子供達の間でよく言われていた言葉である。
「証拠を見せろ!」と。
現在の大人社会でも、(特に法律の世界)、証拠(科学の世界だと「根拠」)や証明がないと先に進めないことが多い。年金などもそういうことでもめているようである。
が、人間関係、特に親子関係や先生生徒関係にそれを持ち込みすぎることには、弊害が大きいのではないかと思う。所謂、しつけや道徳的な事には、証拠がなかったり証明できなかったりするものがたくさんある。証拠や証明を前提にしてしまうと、子ども達を育んでいくことが出来ない面がでてくると思う。
では、どうすればいいのだろうか。
今のところ、私の思いとしては、「信じる」である。
例えば、男性が女性に「愛してる」と言ったときに、女性が「証拠は?」と言われて、客観的な証拠や証明は出来ないであろう、つまりそれを信じるか信じないかを判断しなければならない。そういったこと(信じるか信じないかの判断)の積み重ねが、小さい頃から出来ていないことが、社会全体での人間関係の脆弱さや浅薄さを産み出しているのではないかと思う。
「信ずるものは救われる」かと思う。
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タイトル通りである。
停車場に止まれるときは、気持ちに余裕が持てているときである。
身体的にはピークに近い気もするが・・・・・
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某掲示板で、方言の話がでていた。
「自閉症の子ども達の中で、方言をあまり使わない子ども達がいる。何故?」
久しぶりに、その掲示板に投稿したので、ここにも覚え書きとして記しておこうと思う。
1)テレビなどの影響
2)視覚情報としての方言の少なさ
3)方言に含まれる字義以外の情報の難しさ
等から、方言よりも標準語の方が習得しやすいのではないかと考える。
どうだろうか?
個人的には、
2)>3)>>>1)
という感じであるが・・・
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本日は某団体の理事会があった。東京への日帰りで、現在、羽田のラウンジで投稿している。以前は、自分の携帯から繋ぐしかなかったのが、今は、有線LANがいくつかおいてある。ありがたいことに、喫煙ルームにも用意されている。至れり尽くせりの状態になっているが、こんな世の中でほんとにいいのだろうかと、恩恵にあずかりながらも戸惑ってしまっている。
全国から集まってきていたが、東北はやはり大雪だそうであるが、北陸はそこまでないところもある、らしい。
昨年末に、某所で「特別支援教育から学ぶ、ほめ方・しかり方」という話をさせてもらった。われながら、それなりにまとめることができたと思った。後で、出席者の感想も見せていただいたが、それぞれの方の振り返りにお役に立てたようであった。
特別支援教育から学べることはたくさんあると思う。実際、私自身はたくさんのことを学ばせてもらった。先日の講演では、「奥が深いですね」という感想をいただいた。そうなのである。決して、「障害」という枠にとらわれてはいけないと思う。
いつも気にかけていることではあるが、何を教えてもらうかという受動的な姿勢では前に進むことは難しく、何を学ぶかという能動的な姿勢でこそ前に進めるのだと思う。ただ、最近は、能動的を越えてアグレッシブになりすぎているきらいはあるかもしれない。
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2007年もいろいろあった。
最もうれしかったことは、私の職場にずっと通ってきてくれていた方が秋に隣県に転居になったが、最後に来てくれた時に、「いままでここに通えて、本当によかった。ここがあってよかった。」と言ってくれた、事であった。
今年も、そういう思いに一人でも多くの方に思っていただけるよう精進しようと思う。
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